日本を建国した人達
遠い国からやって来た
目次

日本建国史

国歌の『君が代』が謎を解く

古代~日本建国神社や祭りごと:武将や武士はどうしてなったのか:卑弥呼の墓がないのはなぜ:源義経はどうしてジンギスカンになれたのか

歴史を調べたことのある人は解り易い《謎が解けてきます》新しい発見があります

話はここから始まり➜中東イスラエル

紀元前926年北イスラエル10支族と 南イスラエル2支族は分裂しました:南イスラエルはアッシリア(現シリア)と 友好同盟にありましたが、豊かな国であった北イスラエルは 当時・野蛮で軍国主義なアッシリアとは同盟関係を結ばなかったのです

時は過ぎ約200年後 ・アッシリアは 闘いの主役となります:それまでの 二人乗り戦車を一人乗りに改造したのです、これが凄いスピードと機動力を発揮しました~ 天下無敵の軍事力を持ったアッシリアは エジプトや他の近隣諸国を制覇し 船の艦隊まで保有するようになったのです

この時代の闘いは原始的でした、逆らう男どもは虐殺・奴隷・使い捨ての 兵士として、女性達は兵士のなすが儘に扱われ、当然の如く金品財宝は強奪され兵士の戦利報酬にもなるのです(どうやら今も変わらないようですね)

強大軍事帝国となったアッシリアは次なる標的は豊かな北イスラエル王国だ~と 攻撃の準備を進めていました

時は紀元前727年

アッシリアが攻撃を仕掛けてくることを事前察知した:北イスラエル10支族の王達は全民の生命と財産を守るには・国を捨てる以外に方法はないとの:結論に達したのであります

10支族を現在に例えれば:10の都市であり:首長と市民になります。

いざ脱出が決まれば 一刻の猶予もならぬ~即座に全市民に号令を 出すのだ~出発までに長い日数はかからなかった:官民一体となり宝物・食料を持ち出し: 各10支族達は思い思いの地へと旅立ってゆきます

アッシリアには決して奪われてはならない 重要なモノがあったのです ・それは《三種の神器これを手にしたる者は世界を支配することができるのだ~ 【アロンの杖】【マナの金の壷】【十戒の石板】

▼北イスラエルの本隊であった(推定約18万人)は シルクロードを目指したのです・なぜ本隊なのか~それは三種の神器を持つてるからなのです。

他の士族達も東へとインド ・ミャンマー・中国カンボジア・カンボジア・タイへと旅立ちました

アッシリア軍が北イスラエルに到着した時はもぬけの殻だったのです~残されていたのは動けぬ 病人や離反者達の27290人だけだったのです:記録では数万人を捕虜とし:自国へ引き連れて行ったとになってはいますが<これでは失われた10支族は存在しません>いつの時代も勝者は記録塗り替えてゆきます。

未来の地へ旅立ち

行こう~行こう~未来の地へ~神の国を創るのだ それはそれは永い~永い旅の始まりになります・神輿を担ぎ山越え・谷超え・砂漠あり・その模様を歌に残したのが月の砂漠です

月の砂漠をはるばると旅のらくだがゆきました~金と銀とのくらおいて二つならんでいきました~金の鞍には銀のかめ:銀の鞍には金のかめ:この中に【三種の神器】が入っていたのです。

長旅において必要なのは食料です:各地で迷惑をかけることもありましたが、モンゴルに着くと食料が豊富にありました、それではとここでゆっくりと休息をとり:モンゴル人に騎馬技術や相撲を伝授したりで楽しんだのです

そして:東へ東へと期待を胸に抱いて朝鮮にたどり着きました・朝鮮半島を縦断し目的地までもうすぐだぞ~海を渡れば緑豊かな大地が待ち受けているんだ~と・船造りを始めたのです。

ノアの箱舟を知り建築技術や鉄製の武器をも製作できる技術があります、人海戦術を持ってすれば数隻はあっという間に造船出来たのです。

朝鮮の鉱山には鉄が豊富に採取できることを知りこの地も我が王国の地にと下級兵士:職人:奴隷を定住させました

当然の如く日本との往来は頻繁になります:時は過ぎて兵士は朝鮮王族を結成し民は両班(ヤンバン)貴族になりました:先住民は奴隷となり格差社会になったのです(後世には兵士の子孫達が権力と領土争いを繰り返します)

神の国を創るのだ

さあ~海を渡ろう~ 漕いで~漕いで~また漕いで~新天地へ向かうのだ心ワクワクやっとの思いで念願の地へ着きましたぞ~そこは出雲の地だったのです・北イスラエルを旅立ち約一年半の長~い旅でした~

この地こそ:我が永住の地だ ~神の国を創りましょう出雲大社(いづもおおやしろ)ができました、大社を拠点に日本文化の幕開けです

神社は国造りの諸点になる

国の発展と民衆を豊かにするには:各班ごとに<各地に神社を作る>神の使者として集落人に道義を教え説き小麦や大麦を育て・これを挽いて粉にする食糧作り・家屋・技術・モノづくりを伝授します・これを長期に広めてゆきます

縄文時代から弥生時代へと

石から鉄の時代に・集落人から民衆に<衣・食・住が大きく進化していったのです>

神社は神(天皇)の存在を教え説き:神は心の支えとなり・信仰は平和と安定をもたらし人々は成長をする:五穀豊穣を願い:祭りごとを年中行事とします(お祭りは最も重要なのです)民は一体化し:村や町へと発展します<奉納が盛んに行われ:天皇へ献上されてゆきます>

正月に餅と七草粥を食べるのは:古代イスラエルで正月にマツァと苦菜を食べた習慣の名残です

伊勢神宮は皇室の先祖神である天照大神を祀る特別な聖地です・石灯籠に六芒星(ダビデの星)が刻まれています・ダビデの星はイスラエルの国旗です・天皇家の菊花紋はイスラエル王家の紋章です・シュメール文明から受け継がれています。

兵士はやがて役人・武士となる

頻繁に往来のあった中国・朝鮮から稲作・農産物を持ち帰り・育成方法を教えます、日本列島は水田に恵まれ稲作も豊富に生産できたのです。

豊かな田んぼ

役所が設立されます:各地方は国となり兵士は役人・武士・武将となり・年貢を徴収します《士・農・工・商》

天皇は別格なのです・どの武将が天下を取ろうとも天皇崇拝は変わりません・尊厳は継承されてゆきます《しかし後世には幾多の闘いや裏切りにて・天皇家の血筋は途絶え入れ替わります》

日本神話は数多くあります:それはアヌンナキ(空から舞い降りた人々)から続いたシュメール文化継承が聖書の基になり支族達が古事記に残していったのです。

古事記(例)イザナギとイザナミという2人の神が日本を創った<これはアダムとイブになります>神話の多くは置き換えになります。

出雲大社

やがて天皇の拠点は出雲から奈良へと移行:紀元前 660 年 2 月に神武天皇が即位されます

北イスラエルから運んできた重要なものは徳島の剣山(1955m)の山腹に広い洞窟を作り、その中に納められました、しかし現在では金銭価値の高いものは:取り出されてありません。

他の9士族はアフガニスタンを経て<インド・ミャンマー・カンボジア・中国>へと行き<王族を築き上げます>中国では紀元前221年に秦の始皇帝が中国を統一し 万里の長城を造りました、しかし広大な土地ゆえにやがて子孫達は領土争いを繰り返すのです。

インドや中国の古文書に聖書同様の物語が多数あります、中国に大洪水・アヌンナキ(蛇の兄妹)王の記述とか・これは日本の伝説がそうであるように、支族が持ち入った伝説同国語に書き換えています《聖書は神官が信者に説法用として物語を作成したモノです》

弥生時代には武力制圧がありました、広い大阪平野には多くの先住民が結集しており<武力でしか方法がなく>朝鮮半島から兵士を呼び寄せて制圧にあたったのです、彼らも支族と供にこの地へ転住しています

『大阪平野には多くの古墳が残されています』

中国や朝鮮とは交易があったと伝えられていますが:それは<士族たちの親交>だったのです、云わば 親戚同士の往来でした、漢字の由来・稲作・古銭・骨とう品もその時の土産物として自然に入ってきたのです。

残念ながら日本からの土産物は他国に残っていません:後世になると子孫達が権力闘争を起こします(三国志・他)永年に続く闘いの明け暮れで消滅したのです

▼飛鳥時代には朝鮮国から建築部門の職人を呼び寄せ・各地に神社が建設されてゆきます・彼らは現在も日本建築の宮大工として大阪(天王寺)で継承されています。

▼この時代の建築技術がいかに優れていたか・というよりも、シュメール時代からの歴史があれば多種多様な技術を持つのは当然なのです・海外には目を見張る建造物が多く残されています(アヌンナキが築いた)

祭りごとの神輿担ぎの意味は

シルクロードの旅を後世に伝える行事が:祭りの神輿担です<全国に受け継がれています>祇園祭りのタペストリーは中東から来たとの意味を持ちます《神輿は契約の箱を意味します》

日本語はヘブライ語との類似語が多く含まれています<500以上もあります>

相撲のハッキョイー(倒せやっつけろ)アッパレ(称賛の言葉)アナタ(貴方)アリガトウ(私に幸運)サヨウナラ(悪魔は去る)アラ・マー(何がどうした)ジャン・ケン・ポン(手をかくす)神輿を担ぐ掛け声「エッサ」は(運ぶ):大和(ヤマト)の発音はヤ・ウマト(神の民)の意味になりますひい、ふう、みい、よお、いつ、むう《ヘブル語 です》

日本書紀・古事記は旧約聖書が基になります【国家の君が代はヘブライ語です】

君が代の意味は

立ち上がれシオンの民よ・神に選ばれし残された民よ・人類を救う民よ・神の予言は成就する・全地に語り伝えよ・《このような意味になります》

《エンリキはライオン➜エンキは龍です・シュメール人➜ユダヤ人です➜日本人はユダヤ人の血が流れています》😲

▼  ▼  ▼

卑弥呼の謎を解いてみましょう

弥生時代(240年)突如として現れた 邪馬台国の女王・卑弥呼は誰でしょう?

卑弥呼は中国王朝の王女だったのです:この時代は 三国志の渦中にあり・日々戦いの明け暮れでした:決して安全ではありません、そんな中で卑弥呼は親交深い支族のいる(倭の国)へ行くことを決意したのです

ここには二つの見解があります:一つは戦いから逃れるためなのか:もう一つは卑弥呼が・倭の国から来た誰かに恋焦がれて海をわたってきたか・です・

やがて九州へ上陸:吉野ケ里を拠点とします:そこから支族探しに九州一円を廻れど見つからず(九州各地に痕跡あり)本州へと使者を送り・やがて奈良に転住したのです。

卑弥呼名の墓はありません:卑弥呼は俗称なのです(卑弥呼の名は国を捨て去った卑しい人になるのです)・ 唯一 中国の魏志倭人伝にのみ邪馬台国の女王と記されています、これには王朝の配慮があったのでしょう:倭の国では本名もしくは改名のどちらかになります

ひょっとすると:真実は<世紀に残る大恋愛だったのかも知れませんよ> 

▼  ▼  ▼

源義経はなぜ・ジンギスカンになれた

義経は兄頼朝に追われて藤原泰衡の襲撃で自決と伝えられていますが:親交ある藤原泰衡と相談の末に替え玉の首を頼朝に送り付けたのです:このことが判明すれば藤原殿に多大な迷惑がかかることから:先祖からの言い伝えを頼りに家臣を引き連れモンゴルへ渡ったのです

ここモンゴルでも過去からの伝説にて<王の存在を知っており>その子孫が来たと大歓迎を受けるのです、モンゴルはすでに乗馬や相撲を伝授されており・兵士育成に時間はかかりません・戦術を教え騎馬軍隊を結成したのです

その名をジンギスカンと改名し:天下に轟く無敵のモンゴル帝国を築き上げました。

他に理由は無いの

日本男性の4割がジンギスカンのY染色体を引き継がれていると<分析結果が出ています>ジンギスカンは日本で生まれ育ったことの証拠になります。

古代では先祖の言い伝えが永年にわたって継承されていましたが:今世紀ではラジオテレビスマホと情報が多様化する度に・言い伝えは死語になっています

▼  ▼  ▼

日本はどうして神の国なの

日本は神の国と言われる由縁は<ヤハウェの子孫が築いた国>だからです

黄金の国:ジパング言われるのは、日本は金が多く採取され(金1:銀2)で取引されていましたが、外国では(金1: 銀4)の比率でした:江戸時代に外国から銀が持ち込まれ:大量の金が流出して行きました。

日本の国土が豊かになったのは:地殻変動により大陸が分裂し:日本列島が誕生しました:やがて日本海に海水が流れ寒かった気候も温暖になり<四季折々自然は美しく>作物も豊富に採れるようになったのです。

と言う訳で日本の歴史をヒモ説いてみれば

《事実は小説よりも奇なりでした》

<ありがとうございます>
目次